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「紅蓮の弓矢」JOYSOUNDで超先行カラオケ配信決定! | shingeki.linked-horizon.com
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【テレビアニメ概要】
原作 ARC SYSTEM WORKS
監修 森 利道
監督 橘 秀樹
監督協力 水島 精二
シリーズ構成 赤尾でこ
脚本 赤尾でこ/高橋 龍也
キャラクターデザイン・総作画監督 下谷 智之
音響監督 土屋 雅紀
音響制作 スタジオマウス
音楽制作 ランティス
アニメーション制作 teamKG/フッズ エンタテインメント
製作 BLAZBLUE Alter Memory製作委員会
"ガジェ大好き名無しさん 2013年5月15日 00:51 No.291721
マイナーアプデで金取ったら流石にね
ガジェ大好き名無しさん 2013年5月15日 01:05 No.291738
OSX「せやな」
ガジェ大好き名無しさん 2013年5月15日 01:16 No.291748
Android「仲間はずれイクナイ」
ガジェ大好き名無しさん 2013年5月15日 01:54 No.291769
Windows NT 3.51「まったくだよ」
ガジェ大好き名無しさん 2013年5月15日 03:49 No.291828
ちょっと古すぎぃ!
"— どうしてこうなった!? タイトルが改変されすぎなライトノベルベスト5:萌えオタニュース速報 (via teramako)
ちょっと初恋の話をしよう。
それは高校時代の時、あの時は俺はやはりただのクソガキで、いろいろ馬鹿馬鹿しいことをした覚えがある。あの時はいま話題にしていることほどじゃあないが、いじめも遭ったこともある。まあそういう高校時代。
当然の結果だが、その初恋とやらもあっさりと振られた。その時の彼女の言葉は今でも印象深く覚えている。
私はどうしたらあなたが嬉しく思ってくれるのがわからない、と。
俺は自分のためだけには決して動かない人間であり、その言い分もすごく納得できたとの同時に、ちょっと悲しくなった。人間関係はギブアンドテイクで成り立っている。どんな関係でもそうであり、人々はそうやってギブとテイクのバランスを崩さないように、関係を結んでいる。テイクだけを求めていたのならば関係はすみやかに破綻するのは当然の理、だがギブだけを徹底的に実行し、そして自分は何も見返りを求めていなかったのならば、その感情は一体何なのだろう。
俺は今でもテイクを拒んでいるのか。
諸君らはもう知っていると思うが、上海で一人の学生が毒殺された。それでその医学院というのがなにを隠そう、俺が卒業した大学であり、俺が今仕事している場所である。
今では学園で千羽鶴もあり、校内放送ではその被害者の一生が語られている。そしてあいつの事をまた思い出した。あいつもあの時は一応元生徒会会長だったこともあり、亡くなった時もこういう風になったこともある。けど殺されたのではなく、若き年で突然の病死だった。勘違いされそうなので一応ここで言うけど、俺は別にこれが原因で医学の道を進んでいるわけではない。大学入学試験で志願は通信学だったし、医学はあと両親にせがまれて5つ目に入れただけだった。だが俺は最終的に一年生の時ーー唯一専攻を変えられるチャンスが有るときーーに専攻を変えなかった。やはりあいつのことがあってからなのだろう。
ルクセンダルク紀行の中の《花が散る世界》の歌詞が心に響く:
花は散るから美しいと 本当にそう思いますか?
花が散らない世界があったら その方が良いと思いませんか?
今もまだわからない。けど俺はやはりそういう「花が散らぬ世界」を否定するのだろう。
…戯言だな、最近俺はちょっと疲れているらしい。
ちょっと無駄に日本語で書きたくなった。
自分のことを書く時はなぜか日本語を選ぶ。世間の人々にどう言われようと、日本語はやはり俺の第一言語であり、一番フィルターがかからない言語だからだと思う。もし死ぬ前に遺書を書くのだとしたら、俺はやはり日本語で書くのだろう。そうすればニセの遺書とかの功夫が難しいんじゃないかと冗談することもできるのだが、あいにく今日書きたいのはそんなものじゃあない。
そう、ただの戯言だ。文学少女シリーズで流行ってるような、そんな戯言。
人生の中で二回、友達を失ったことがある。一回目は中学時代で、心を許せるような親友。そして二回目は高校時代で、それはあの時一番大切にしていた人だった。彼らが亡くなった時、周りの人達の感情は主に「悲しい」の一色だったのを思い出す。みんなとは言わないが、沢山の人がそのことに涙を流し、泣いていた。俺を除いて。
あの時はなぜ泣かなったのが不思議だった。誰よりも悲しかったのに、それとも本当はそんなに仲がいいわけじゃなかったんだろうか、と思ってしまうぐらいに。とにかく自分がわからなくなってきた。今思うと自分のバカみたいに高い適応能力とか、無意識に他人のレールを歩かないとか心当たりっぽいのが出てくるが、それはそれで嫌になってしまう。人の適応能力ってそこまで適応できるのだろうか。大切な人が、親友が亡くなってからほぼ同時に、彼らのいない世界に適応してしまったというのか。
そう思うと闇の奥底に蹴り落とされた気分だった。そしてもう這い上がる気も亡くなった。彼等と共に。
大学一年の時、毎週木曜日の夜、校内にあったバーで一人でマルガリータを注文して飲む習慣があったのを思い出す。なぜそうしたのかは具体的には思い出せない。だがあの塩辛いマルガリータの味は今でも覚えている。あの時俺はやはりこういうのを味わってみたかったのだろうか。
でも今はもういい。マルガリータではなく安いビールを飲んでいて、こうやって一人で闇の奥底に生きている。もしそこに青い鳥が迷い込んできたのならば、俺はそいつを光へと導けよう。周りの人が幸せになれるように、闇に迷い込んでも孤独にならないように、俺はずっとここにいよう。不幸に慣れよう。痛みも苦しみも全部糧にしよう。
本当にこれでいいのだろうか?
Moiraのみぞ知る…か。